オリビアはエントランスに向かって廊下を歩いていた。ふと窓を見れば、外は先ほどよりも雨足が強くなっている。(これは酷い降り方ね。服が濡れてしまわないように正面口まで馬車で迎えに来て貰いましょう)そんなことを考えながら廊下を進んでいると、使用人達が大勢集まって騒いでいる姿が目に入った。誰もが話に夢中になっている為、オリビアこもってしまったそうよ」「ミハエル様と口論されたらしいな。珍しいこともあるものだ」「原因はオリビア様らしいわ」「奥様と旦那様も激しい言い争いをしていたみたいだが、結局はオリビア様のせいだって話だ」「え!? あの厄介者のオリビア様が原因なのか?」その言葉に、オリビアは足を止めた。確かにシャロンとのトラブルは自分が発端になったものだが、もとはと言えば彼女の専属メイド2人が吹っ掛けてきたものだ。飛んできた火の粉を振り払っただけで、オリビアは何もしていない。彼らが勝手に自滅していっただけの話だ。オリビアは両手をグッと握りしめ……真っすぐ使用人達を見つめた。周囲に嫌われたくない為に自分を押し殺し、言われっぱなしだった弱いオリビアはもう、何処にもいない。『何故、我慢しなければならないのかしら?』尊敬するアデリーナの声が再び頭の中に蘇る。(そう……私はフォード家の家人。使用人達に言われっぱなしで我慢する私は、もう終わりよ)決意を固めたその時。「お、おい。あそこにいるのはオリビア様じゃないか」フットマンがオリビアの姿に気付き、周囲の使用人達に伝えた。すると1人のフットマンがニヤニヤしながら進み出て来た。「おやぁ? 本当だ。影が薄いんで、全く気づかなかった」そのフットマンはミハエル専属のフットマンで、やはり先ほどのメイド達のようにオリビアに散々嫌がらせをしてきた人物である。「あなたも相変わらず影が薄いわね。話しかけられるまで私も全く存在に気付かなかったわ」オリビアの発した言葉に、その場にいた使用人達が騒めいたのは言うまでもない。「え……? 今、反論した?」 「まさか言い返してきたのか?」 「あのオリビア様が?」 「使用人の顔すら伺っていたくせに……」「な、な、なんだと……!」一方、怒りで肩を震わせているのは影が薄いと言われたミハエルのフットマンだ。「オリビア様、今……俺のこと、影が薄いって言いましたね?
オリビアがニールに馬車をまわしてくるように命令したことで、使用人達は一斉に騒めいた。「う、嘘でしょう……?」「あのオリビア様が……」「俺たちの顔色ばかり伺っていたのに……」「命令した……?」一方、命令されたニールは信じられないとばかりに目を見開いていた。だが、徐々に怒りが込み上げてきたのだろう。顔を真っ赤にさせて身体を震わせ……。「はぁあああっ!? ふざけないで下さいよ!! 何っで、この俺がオリビア様の為に土砂降りの雨の中、御者に連絡しに行かなくちゃならないんですか!!」「土砂降りだから、行くように命じているのでしょう? だってこの中で一番あなたが適任者だから」「何で俺が適任者なのですか! 冗談じゃない、馬車に乗りたいなら御自分で馬繋場へ行って来れば良いでしょう!? 俺はオリビア様のフットマンじゃない。ミハエル様に忠誠を誓ったフットマンなのですからね! ミハエル様だって俺に絶大な信頼を寄せて下さっているのですから!」日頃から、自分は次期後継者になる人物の専属フットマンなのだと偉ぶっていたニール。家族に無視されているオリビアなど、彼には鼻にもかけない相手だったのだ。「あら、そうなの……」オリビアは何がおかしいのか、クスクスと笑う。その様子に周囲で見ていた使用人達の間に困惑が広がる。「おい、一体オリビア様はどうしてしまったんだ?」「さ、さぁ……?」「あまりに蔑ろにされ過ぎて、どうにかなってしまったのだろうか?」けれど当事者であるニールは不愉快でならなかった。オリビアの態度は自分を馬鹿にしているとしか思えない。「何がおかしいのですか!」もはや、相手が子爵家令嬢だと言う事もお構いなしに怒声を浴びせるニール。「だって、お兄様に忠誠を誓っているって言い切ることがおかしすぎるのだもの。一体どの口が言うのかしらって思えるわ」「はぁ!?」「よくも平気で嘘を言えるわね。兄の信頼を裏切って、部屋から金目になりそうなものを物色して盗んでいるくせに」「……え?」その言葉にニールの顔が青ざめ、周囲にいた使用人達は驚いた様子でニールを見つめる。「何を言ってるのですか! いいかげんなことを言わないで下さい!」「そう。認めないのね。だったら別に構わないわ。兄に報告するだけだから」「ほ、報告ですって!?」「ええ、そうよ。あなたの部屋をくまなく探
オリビアは使用人達と共に、エントランス前でニールが戻って来るのを談笑しながら待っていた。「いや~それにしてもオリビア様、お見事でした。あいつは前から態度がでかくて、気に入らなかったんです」「そう言って貰えると嬉しいわ」フットマンの言葉に、オリビアはまんざらでもない笑みを浮かべる。「あいつ、いつも偉ぶっていたんですよ。オリビア様にやりこめられたときのニールの顔ったらないですよ」「本当に爽快でした!」「私もすっきりしました。ニールは本当に嫌な男でしたから」今や、すっかりオリビエに対する使用人達の態度は変わっていた。「オリビア様、ミハエル様への報告は俺たちに任せて下さい!」万年筆を奪った大柄な男が自分の胸をドンと叩く。「確か、あなたはトビーだったわよね?」「え? 俺の名前も御存知だったのですか?」トビーは首を傾げる。「ええ、この屋敷で働く使用人の名前を家人が覚えるのは当然のことでしょう?」何しろオリビアは抜群の記憶力を持っており、人の顔と名前を覚えるのは得意だったのだ。「すごいです! オリビア様!」「こんなに優秀な方だったなんて……!」使用人達は感動の目をオリビアに向けてくる。「トビー。私は兄の次の専属フットマンとして、あなたが適任だと思うわ」「ええ!? お、俺がですか!?」「ええ。だって真っ先に動いてニールから万年筆を奪ったでしょう? だからよ」「オリビア様……」トビーがオリビアに感動の目を向けた時。――バンッ!目の前の扉が突然開かれ、雨具を身に着けたニールがエントランスの中に飛び込んできた。彼の背後には不満げな顔つきの御者もいる。「オリビア様! どうですか!? ちゃんと御者を連れてきましたよ! これでミハエル様へ告げ口はしないでもらえますよね!?」ポタポタ雫を垂らしながら、訴えるニール。「ええ、そうね。私からは告げ口しないから安心してちょうだい?」そしてニコリと笑みを浮かべる。「あ、ありがとうございます……! オリビア様には感謝いたします! 今後は心を入れ替えると誓います!!」すると、背後にいた男性御者が不満そうに口を開いた。「全く……勘弁してくださいよ。こんな土砂降りの日に馬車を出せなんて。少しは遠慮ってものを知らないんですかね」するとその場に居合わせた使用人達が一斉に御者を責め始めた。「何だとぉ
土砂降りの雨の中にも関わらず、使用人達は大学に行くオリビアを見送る為に集まっていた。「それじゃ、みんな行ってくるわね」オリビアは使用人達の顔を見渡す。「はい、行ってらっしゃいませ。ニールのことは、我々にお任せ下さい」トビーが自信たっぷりに頷く。勿論ニールも少し離れた場所に立っているが、あいにくの雨音で彼の耳には届いていない。「私が屋敷に帰って来る頃には、願わくばニールの姿がこの屋敷から消えていることを願っているわ」何しろ、オリビアは散々ニールに馬鹿にされてきたのだ。挙句に彼は盗みも働き、オリビアがミハエルにプレゼントした万年筆迄自分の物にしていたのだから。「ええ、どうぞ我々にお任せください。必ず奴の息の根を止めてさしあげますよ」何とも物騒な台詞を吐くトビーに、周りにいた使用人達は笑顔で頷く。「頼もしい台詞ね。期待しているわ」オリビアは満足げに笑顔を見せると、馬車に乗り込んだ――ガラガラと音を立てて走る馬車の中で、オリビアは外を眺めていた。窓の外は土砂降りの雨で、時折ゴロゴロと雷の音が鳴り響いている。「くそーっ!! 何で、こんな土砂降りの日に馬車を出させるんだよーっ!!」手綱を握りしめて馬車を走らせている御者の叫び声も雷の音にかき消され、当然オリビアの耳には届いていない。「フフフ……今日は荒れた1日になりそうね」オリビアは愉快でたまらなかった。あれ程家族に蔑ろにされ、使用人達から馬鹿にされていた日々が、たったの1日……しかもほんの僅かな時間で全てがひっくり返ったのだから。オリビアを除け者にして、仲良さげな家族はうわべだけの関係だった。家庭内は崩壊し、誰もが抱えていた秘密の暴露。オリビアを無視し、馬鹿にしてきた使用人達からは一目置かれるようになった。「自分の置かれた環境を覆すことが、こんなに簡単なことだったなんて思わなかったわ。これも全てアデリーナ様の助言のお陰ね」早く会って、今朝の出来事を報告したい……。オリビアはアデリーナの顔を思い浮かべるのだった――**** 馬車が大学内の馬繋場に到着し、オリビアは馬車から降りた。この場所は屋根があるので、濡れずに乗り降りできるのだ。「御苦労様。授業が終わる頃、またここに迎えに来てね。16時頃を目安に来てもらえればいいから」「はぁ!? 帰りもこの土砂降りの中、迎えに来いっておっ
「はぁ~それにしてもお腹が空いたわ……朝の騒ぎのせいで食事を取ることが出来なかったから」廊下を歩きながら、オリビアはため息をついた。何げなく通路にかけてある時計を見れば、時刻は8時20分だった。1時限目が始まるまでにはまだ40分の余裕がある。「あら、まだこんな時間だわ。雨が酷かったから早目に馬車を出して貰ったけど、こんなに早く着いたのね。そういえば、随分早く走っているようにも感じたけど……でも、これなら何処かで飲み物くらいなら飲める時間があるかも」オリビアは知らない。土砂降りの中、一刻も早く到着しなければと必死に馬を走らせていたことを。……事故の危険も顧みず。時間にまだ余裕があることを知ったオリビアアは、早速購買部へ行ってみることにした。「え!? 閉まってるわ!」購買部へ行ってみると扉は閉ざされ、営業時間が記された札が吊り下げられていた。「営業時間は……9時から18時? そ、そんな……」大学に入学してから、ただの一度も購買部を利用したことが無かったオリビアは営業時間を知らなかったのだ。「どうしよう……学生食堂やカフェテリアは、ここから遠いし、今から行けば授業が始まってしまうわ……もうお昼まで諦めるしかないわね。せめてミルクだけでも飲みたかったのに」ため息をついて、踵を変えようとしたとき。「あれ? もしかして……オリビアじゃないか?」聞き覚えのある声に、振り返ってみると驚いたことにマックスの姿があった。彼は肩から大きな布袋をさげている。「え? マックス? どうしてこんなところにいるの?」まさかマックスに出会うとは思わず、オリビアは目を見開いた。「それはこっちの台詞だよ。購買部はまだ開いていないんだぞ?」「そうみたいね……私、購買部を一度も利用したことが無かったから営業時間を知らなかったのよ」「そうだったのか。でも、何しに購買部へ来たんだ?」「え、ええ。実は……今朝、ちょっとしたことがあって食事をする時間が無かったの。それで、何か買おうと思って購買部へ来たのだけど……あら、そういえばマックスは営業時間を知っているのに何故ここへ来たの?」するとマックスは笑顔を見せた。「俺は、品物を置きに来たのさ」「え? 品物?」「まぁいいや。まだ時間もあることだし、一緒に中へ入らないか? 実は鍵も持っているんだ」マックスはポケットから鍵を取
「ふ~ん……成程、今朝そんなことがあったのか」陳列棚に手作りスコーンを並べ終えたマックスが腕組みした。「ええ。たった1時間程の出来事だったけど、全てがひっくり返ったようだったわ」「確かに他人の俺から聞いても驚くよ。だけど、良かったのか? 家のそんな大事な話をこの俺にしても」マックスは自分を指さす。「そうねぇ……言われてみれば何故かしら? あなたとは昨日知り合ったばかりで、互いのことなんか、まだ殆ど知らない仲なのに……あ、だからこそ話せたのかもしれないわ」「プ、何だよそれ」オリビアの話が面白かったのか、マックスが笑う。「本当の話よ。今の話、ギスランには流石に話す気になれないもの」「あぁ、オリビアの婚約者のか。まぁ、確かに話せないよな。実は妹がギスランにすり寄っていたのは母親の命令で、イヤイヤだったなんて話はな」「そうよ。……話は変わるけど、マックス。さっき頂いたスコーン、本当に美味しかったわ。これならすぐに人気が出るはずよ」「そうか? フォード家の令嬢のお墨付きなら間違いないな」その言葉に、オリビアの顔が曇る。「あ……」「どうかしたのか?」「あの、父が食に関するコラムを書いているって話だけど……あまり信用しては、もういけないと思って」「金を貰って、ライバル店をこき下ろす批判記事のことだろう?」「そうよ。父は、詐欺師だったのよ。だから、私のことも信用できないかもしれないけれど……本当にさっきのスコーンは美味しかったわ。絶対人気が出ると思う。信じて欲しいの」何故か、マックスには信用してもらいたかったのだ。恐らく、それは昨夜店を訪ねて危ない目に遭いそうになった自分を助けてくれたからなのだろう。「信用するに決まっているだろう? 何と言っても出会って間もない俺に、 家族の恥をさらけ出すくらいなんだから」そしてマックスは笑った。「フフフ、何それ」オリビアもつられて笑うのだった――**** —―8時40分2人で一緒に購買部を出ると、マックスはガチャガチャと鍵をかけた。「よし、戸締りは大丈夫だ。それじゃ、オリビア。また店に食事に来てくれよな」「ええ。また近いうちに寄らせてもらうわ。スコーン、とても美味しかった。ごちそうさまでしたって、お姉さまに伝えて置いてくれる?」「ああ、伝えておくよ」2人は購買部の前で別れると、それぞれの
1時限目の教室に行ってみると、既に親友エレナの姿があった。「おはよう、エレナ」「あら、おはよう。オリビア」近付き、声をかけるとエレナも笑顔を向ける。「ねぇ、今朝は雨が酷かったけど大丈夫だったの? 自転車は当然無理だろうから、辻馬車に乗ったのかしら?」隣りの席に座ると、早速エレナは心配そうに話しかけてきた。オリビアがあまり家の馬車を使うことが出来ない事情を彼女は知っているからだ。「ええ、大丈夫よ。何と言っても、今日は馬車を出して貰ったから」「え!? そうだったの? 以前は雨でも馬車を頼めないから辻馬車を利用しているって話していたじゃない。一体どういう風の吹きまわしなの?」「それはね……」オリビアは教室に掛けてある時計を見た。授業開始までは後10分程残っている。「どうしたの? オリビア。時計を気にしているようだけど?」「あまり時間が無いから、かいつまんで説明するわね……」こうしてオリビアはエレナにも今迄黙っていた家庭の事情を暴露したのだった。何しろ彼女はもう恥さらしなフォード家を見限ったからだ。大学を卒業後は、奨学金制度を利用して大学院に進学する。その申請書も本日持参してきているのだ。当然、エレナがオリビアの話に目を見開いたのは……言うまでも無かった――**** あっと言う間に時間は流れ、昼休みの時間になった。オリビアはエレナと連れ立って大学に併設されたカフェテリアに来ていた。この店は学生食堂の次に大きな店で、大勢の学生達で賑わっている。2人でランチプレートを注文し、空いている席を見つけて向かい合わせに座る早速エレナが話しかけてきた。「今朝の話は驚いたわ。1冊丸々本に出来そうな濃い話じゃない」「確かにエレナの言うとおりね。あんな人達に今迄私は媚を売っていたのかと思うと我ながらイヤになるわ」「そうよね。オリビアには申し訳ないけれど、あなたの家族は酷すぎるわよ」食事をしながら、女子2人の会話は増々盛り上がってくる。「でも、オリビア。20年間今までずっと我慢してきたのに、何故突然考えが変わったの?」「それはね、アデリーナ様の……」オリビアがアデリーナの名前を口にしたその時。「彼女に謝れ! アデリーナッ!」一際大きな声がカフェテリア内に響き渡り、その場にいた全員が声の方向を振り向いた。「え!? な、何!?」「今、ア
「私はただディートリッヒ様の婚約者は私なのだから、せめて人前で2人きりになるのは、おやめくださいとお話しているだけです。 後何度同じことを言えばいい加減理解して頂けるのでしょうか? まさかお2人は言葉が通じないわけではありませんよね?」アデリーナの話に、周囲で見ていた学生たちが騒めく。中には彼女の物言いがおかしかったのか、肩を震わせて笑いを堪えている学生たちもいる。「アデリーナッ! お前……俺たちを注意しているのか!? それとも馬鹿にしているのか? どっちだなんだ!」プライドの高いディートリッヒは、周囲から笑われる原因を作ったアデリーナに激しい怒りをぶつけた。しかしアデリーナは怒声にひるむことなく、冷静な態度を崩さない。「私はお2人に対し、注意をしているわけでも馬鹿にしているわけでもありません。ただ、自分の置かれた立場を理解して下さいと諭しているだけですが?」「何? 注意することと諭すことの何処が違う! 同じ意味だろう!?」激高するディートリッヒに対し、サンドラは肩を震わせて俯いている。「あれは……」3人の……特に、サンドラの様子を注視していたオリビアは思わず声を漏らす。「あの女子学生……怖くて震えいるのか?」「それにしてもアデリーナ様は気丈な方よね」「だから悪女と言われてしまうのだろう」周囲の学生たちのヒソヒソ話が聞こえてくるが、誰もが全員アデリーナを悪く言う者ばかりだった。一方のアデリーナはそんな状況を、物ともせずに言葉を続ける。「いいえ、注意と諭すでは意味合いが違います。注意は気を付けるようにという意味で、諭すというのは物の通りを教え、理解させる為に使う言葉です。つまり婚約者である私がいるのに、大勢の人が集まる場所で他の女性と2人きりで食事をするのは間違いですとお話しているのです。御理解いただけましたか?」この言葉に、増々ディートリッヒの怒りが増す。「何だとっ!! お前という奴は……一体どこまで俺を馬鹿にするつもりだ! だから俺はお前がいやなんだよ!」すると今まで黙っていたサンドラが突然ディートリッヒにしがみついてきた。「待って! やめてくださいディートリッヒ様! もとはと言えば、私がいけなかったのです。 私はアデリーナ様の足元にも及ばないのに、身の程知らずにもディートリッヒ様に好意を抱いてしまった私がすべて悪いのです!
「成程、引きこもりですか……?」オリビアは吹き出しそうになるのを必死に堪えながら頷く。何しろ王宮騎士団に入れるのは、全員貴族と決められている。国王直属の騎士になるのだから、当然と言えば当然のこと。その貴族たちの前で恥をさらされたのだから、ダメージは相当のものだろう。王宮騎士団に入団すると言うのは、大変名誉なことだった。高学歴も必要とされ、大学を卒業見込みの者がまず試験を受ける権利を貰える。脳筋バカでは国王に仕える者として、失格なのだ。毎年入団試験を受ける者は1000人を超えると言われている。まず、最初の筆記試験で半数が落とされ、剣術の実技試験で更に半数。最後の面接で半数が落とされると言われている。「お兄様、正直に話して下さい。いつの段階で、裏金を支払ったのですか?」未だにグズグズ泣くミハエルに静かに尋ねるオリビア。「グズッ……そ、そんなの決まっているだろう? 筆記試験の……段階で、金を支払ったんだよ! 裏口入団に顔の利くブローカーを見つけて……ウグッ! 悪いとは思ったが、家の金庫に深夜忍び込んで……ウウウウッ! 後で返済しようと思って……ヒグッ! 拝借したって言うのに……何も、何もあんな大勢の前で俺を糾弾して、排斥することはないじゃないか! せめて、人目のつかない所でやってくれればいいのにぃぃっ!! 俺はもう駄目だ!! 引き籠るしかないんだよぉおおおっ!! 誰だっ!! 密告した奴は!! ちくしょおおおお!!」年甲斐もなく涙を流しながら吠えまくるミハエルに、もはやオリビアは呆れて物も言えない。(密告したのは私だけど……それにしても呆れたものだわ。実力も無いのに、王宮騎士団に入ろうとしたのだから自業自得よ)けれど、これではうるさすぎて堪らない。そこでオリビアはミハエルを慰めることにした。「落ち着いて下さい、お兄様。確かに恥はかいてしまいましたが、私はこれで良かったと思いますよ?」「何でだよ!! 何処が良かったって言うんだよぉお!!」「だって、考えてみて下さい。お兄様は実力も伴わないのに、高根の花である王宮騎士団に入ろうとしたのですよ? 仮にこのまま騎士になれたとしても、いずれすぐにボロが出て不正入団が明るみに出ていたはずです。もしそうなった場合、国王を騙した罰として、不敬罪に問われて処罰されていたかもしれませんよ?」「な、何……不敬罪…
「お兄様、一体何を大騒ぎしているのですか?」オリビアは咆哮を上げている兄、ミハエルに声をかけた。「え……? あ!! オリビアッ! お、お、お前……何故この部屋にいるんだよ!!」ミハエルは涙でぐちゃぐちゃになった顔を向けてきた。「プッ」その顔があまりにも面白すぎてオリビアは吹き出す。「オリビア……今、お前吹き出しただろう? つまり笑ったってことだよな!?」「いいえ、笑っておりません。クッ……クックク……」とうとう我慢できず、オリビアは俯き肩を震わせた。「ほら見ろ!! やっぱり笑っているじゃないか! それに一体何だ! 何故勝手に人の部屋に入って来ているんだよ!! 俺は誰にもこの部屋の立ち入りを許した覚えはないぞ!!」顔を真っ赤にさせて涙を流すミハエル。オリビアは今にも笑い出したい気持ちを必死に抑えて話を始めた。「私がこの部屋に来たのは、部屋の扉が全開だったからです。そこで中を覗いてみると、お兄様が狂ったように泣き叫んで暴れる姿を目にしたので部屋に入ったまでですが?」「何? 部屋の扉が開いていただって? 嘘だ!! 扉は閉まっていたはずだ!!」「いいえ、開いておりました。お兄様は物を投げて当たり散らしていましたよね? 恐らく何かが扉に当たり、はずみで開いたのではありませんか? そう、丁度このクッションのように」平気で嘘をつき、足元に落ちていたクッションを拾い上げた。「そうだった……のか……?」未だに涙を滝のように流している兄、ミハエル。「ええ、そうです。それでお兄様? 一体何をそんなにないておられるのでしょう? もう妹にみっとも無い姿を見られているのですから、この際胸に秘めた思いを口にしてみてはいかがですか?」「わ、分かった……聞いてくれるか? オリビア……」袖で涙をゴシゴシ拭うミハエルに、オリビアは笑顔で頷いた。「はい、何でも聞きましょう」「今日は……し、新人騎士団の……ヒック! 初めての顔合わせの日だったんだよ……そ、それで他の新人たちと整列して、憧れのヒグッ! キャデラック団長を待っていたんだよぉ……」グズグズ泣きながら、ミハエルは語りだした。泣きじゃくりながらの説明だったので若干分かり辛さはあったものの、詳細が明らかになった。ミハエルは高揚した気分で憧れて止まないキャデラック団長を待っていた。そこへマントを羽織
オリビアが自転車を飛ばして屋敷へ戻ってくると、予想通りに面白いことが待ち受けていた。「お帰りなさいませ、オリビア様」フットマンが恭しくオリビアをエントランスで迎えてくれた。「ただいま。ところでお兄様はもうお帰りになっているのかしら?」今の時刻は16時を少し過ぎた辺りだった。今日は入団して初めての顔合わせと訓練が実施されると聞いている。もしも予定通りミハエルが訓練を受けているなら、まだ帰宅してはいないのだが……。「ええ、実はもうすでにお帰りになっております」フットマンの声が小さくなる。「あら? そうなの? お兄様は確か今日から王宮騎士団に入団し、訓練をうける日だと聞いていたけど……妙な話ね?」わざとらしくオリビアは首を傾げる。「はい。私たちもそのようにお話を伺っていたのですが……ミハエル様は11時には帰宅されてきたのです。しかも何やら、ズタボロの姿に……あ、いえ! かなり髪型と服装が乱れた様子で戻られました。気のせいか、何やら目頭に光るものが……い、いえ! 今の話はどうぞ聞かなかったことにして下さい!」フットマンはぺこぺこ頭を下げてきた。「ええ、聞かなかったことにするわ。でも、それは心配ね……自分の部屋に戻るついでにお兄様の様子を見に行ってくるわ」「はい! お願いいたします! 何やら酷く興奮されているようでして、もう我々では手に負えないのです」「分かったわ、任せて頂戴」頷いたオリビアは鼻歌を歌い、軽やかにステップを踏むようにミハエルの部屋を目指した。**** ミハエルの部屋はオリビアの部屋よりも手前にあり、日当たりも良く最高の場所にあった。冷遇されていたいオリビアは一番通路の奥の部屋に追いやられ、いつもミハエルの部屋の前を通るのが嫌で嫌でたまらなかったのだが……。「今日ほど、自分の部屋が兄よりも奥にあることを感謝したことは無いわ」ミハエルの部屋を目指して廊下を歩いていると、部屋の前で数人の使用人達が佇んでいる姿が目に入った。使用人達は困った様子でミハエルの部屋を見つめている。「ただいま。あなた達、ここは兄の部屋よね? 一体扉の前で何をしているの?」オリビアはしらじらしく使用人達に声をかけた。「あ、お帰りなさいませ。オリビア様」「実はミハエル様が部屋の中で大暴れしているのです」「時々、大声で吠えたりしているので不気
――放課後帰り支度をしていると、エレナが声をかけてきた。「オリビア、今日は1日ずっと楽しそうだったわね。何か良い事でもあったの? 昼食はアデリーナ様と一緒だったのでしょう?」「ええ、一緒だったわ。勿論アデリーナ様との食事も楽しかったけど、それ以外にも今日はこれから楽しいことが起こりそうなの」「あら、どんなことかしら。教えてくれる?」「ええ。いいわよ。それはね……」そのとき。「エレナ、迎えに来たよ」エレナの婚約者、カールが現れた。「まぁ、カール。今日は早かったのね」「それはそうさ。早く君に会いたかったからね。ん? オリビア、君もいたのか?」カールはオリビアの姿に気付き、声をかけてきた。「ご挨拶ね。ええ、いたわよ。でもお2人のお邪魔みたいだから、すぐに帰るわ」するとオリビアの言葉にエレナとカールが驚く。「え? オリビア、私は少しもあなたが邪魔だなんて思っていないわよ?」「そうだよ。オリビアはエレナの大切な親友じゃないか」2人の言葉に笑うオリビア。「ふふ、ほんの冗談だから気にしないで。それじゃ、又明日ね」オリビアは手を振ると、教室を後にした。「本当にエレナとカールは仲が良いわね~」独り言のように呟くと、突然背後から声をかけられた。「何だ? もしかして羨ましいのか?」「キャアッ!」驚きのあまり悲鳴を上げて振り向くと、マックスの姿がある。「びっくりした……何もそんなに大きな声をあげることはないだろう?」「それはこっちの台詞よ。マックス、突然声をかけてこないでよ」「ごめん。オリビアの姿が目に入ったから、ついな。ところでオリビア。ここで出会ったのも何かの縁だ。ちょっとこれから一緒に出掛けないか?」「え? 出掛けるって一体どこへ?」「今夜の食材を買いに行こうかと思っていたんだよ」「つまりは買い出しってことね?」「買い出し……か。う~ん……その言い方は少し語弊があるかもしれないが……買い出しには間違いないか……」マックスの態度はどこか煮え切らない。そこでオリビアは首を振った。「ごめんなさい、マックス。折角だけど、私行かないわ」「え? 行かないのか?」「ええ。実は今日、早く家に帰らなければならないのよ」「家に帰らなければって……オリビアは家が嫌いじゃ無かったのか?」「ええ、確かに嫌いよ」マックスの言葉に頷く。
その日の昼休みのこと――オリビアは中庭にあるガゼボに来ていた。今日はここでアデリーナと待ち合わせをして一緒に食事をすることになっていたのだ。「今日もいいお天気ね……」ガゼボの中から中庭を見つめていると、アデリーナが手を振ってこちらへ駆けてくる様子が見えた。「アデリーナ様っ!」オリビエは立ち上がり、笑顔で手を振る。「ごめんなさい、オリビアさん。待ったかしら?」息を切らせながら、ガゼボに入って来たアデリーナ。「いいえ、私も先程来たばかりですから気になさらないで下さい」「そう? なら良かったわ」2人で並んで座るとオリビアは早速持参してきたバスケットを開いた。「アデリーナ様、我が家自慢のシェフが腕を振るってサンドイッチを作ってくれました。他にもマフィンやスコーンもありますよ。早速頂きませんか?」豪華な食事に、アデリーナの目が輝く。「まぁ、美味しそうね。本当に頂いてもいいの?」「ええ、勿論です。では早速……」「待って! オリビアさんっ!」不意にアデリーナが止めた。「アデリーナ様? どうかしましたか?」「食事の前に、まず昨夜のことを謝らせて貰えないかしら? 折角楽しい食事の場を提供してもらったのに、私ったら途中で酔って眠ってしまったでしょう? 恥ずかしいわ……本当にごめんなさい」憧れのアデリーナに謝られて、オリビアはすっかり慌ててしまった。「そ、そんな。謝らないで下さい。私、むしろ嬉しかったんです」「え? 嬉しかった? 何故かしら?」「セトさんが言っていました。アデリーナ様は本当に昨夜は楽しそうだったって。楽しくお酒を飲めたから酔って眠ってしまったってことですよね?」「ええ。その通りよ。あんなに楽しくお酒を飲めたのは初めてだったわ」アデリーナは頷く。「私もすごく楽しかったです。だから謝らないでください。そうでなければ……また、お誘いすることが出来ませんから」「分かったわ。また是非、一緒にマックスさんのお店に行きましょう?」「はい! それでは早速頂きませんか?」オリビアはバスケットをアデリーナに勧めた。「ありがとう、それでは頂くわね」こうして、ガゼボの中で2人のランチ会が始まった――「本当にこのサンドイッチ、美味しいわ。さすがフォード家のシェフは一流ね」アデリーナが感心した様子でサンドイッチを口にする。「ありが
アデリーナと食事をした翌日のこと—―オリビアは嫌々、父と兄の3人で朝食の席を囲んでいた。「オリビアや、昨夜は何処の店で食事をしてきたのだね?」美食貴族と呼ばれている父、ランドルフはオリビアが食事をしてきた店が気になって仕方がない。「さぁ? 昨夜は待ち合わせした人が連れて行ってくれたお店なので、場所も店の名前も良く覚えていません」オリビアは平気で嘘をついた。何しろランドルフはとんでもないペテン師。飲食店から良い評判を書いて欲しいとお金を積まれれば、平気で嘘のコラムを書く。さらにライバル店を潰して欲しいという依頼だって受けるのだ。(父に大切な友人マックスの店を教えるわけにはいかないわ)「そうか……覚えていないのか。だが聞いておいてくれるか? 是非、私もその店に食事に行ってみたいからな」「そうですね。会う機会があれば尋ねておきます」パンにバターを塗りながら、気の無い返事をする。「成程、会う機会があれば……か。うん? そう言えば、オリビア。昨夜は一体どこの誰と食事をしてきたのだ!? お前は嫁入り前の身なのだから、男と2人きりで食事に行ったりなどしていないだろうな?」「少なくとも、相手がギスランでは無いことは確かですね」そのとき、今まで1人黙々と食事をしていたミハエルが反応した。「オリビア、聞くがいい。昨夜、クソ野郎のギスランに電話してやったぞ。もう二度とオリビアに近付くなとな! もしそのようなことをすれば夜道に1人で歩いているところを背後から襲って、二度と女遊びが出来ない身体にしてやると脅してやった。何しろ、あの男はまだ未成年のシャロンにまで手を出すようなクズ野郎だからな」するとランドルフが眉を顰める。「ミハエル。朝食の時間になんて胸の悪くなることを口にするのだ? オリビアの前で過激な発言をするんじゃない。こっちまで背筋がゾクゾクして気分がわるくなってしまったじゃないか」「申し訳ありません。それでは話題を変えることにしましょう。卒業まで後一カ月。今日から私は正式に王宮騎士団に仮入団し、訓練を受けることに決定しました!」「おお、そうか。それは素晴らしい! これからはこの国を守る騎士として誇りを忘れるなよ」ランドルフが大げさに手を叩く。「ありがとうございます。これで俺もいよいよ憧れだった、キャデラック侯爵から直々に指南を受けられます。
—―20時 マックスに見送られ、3人は店を出た。「……大変申し訳ございませんでした」酔い潰れて眠ってしまったアデリーナを背負ったセトが申し訳なさそうに謝ってきた。「そんなに気になさらないで下さい。でも驚きました。あのアデリーナ様がお酒で酔い潰れてしまうとは思いませんでした」オリビアが気持ちよさそうにセトの背中で眠っているアデリーナを見つめる。「何だかすみません。出したワインの度数が強かったのかな?」マックスの言葉にセトは首を振る。「いいえ、アデリーナ様はお酒が強い方なのです。このように酔って眠ってしまったことは一度もありません。アデリーナ様は侯爵家の一員として家族から厳しく育てられてきたので、気の休まることはありませんでした。 ですが、今夜は余程楽しかったのでしょうね。あんなに笑顔で話をしている姿を見るのは初めてです。これもきっとオリビア様のおかげなのでしょうね。本当にありがとうございます」「い、いえ! 私の方こそ楽しかったです。家族に虐げられていた私はすっかり自信を無くしていました。でもアデリーナ様に出会って、私は生まれかわったのです。こちらこそ感謝しています」するとセトは笑顔になる。「アデリーナ様も同じようなことをおっしゃっておられました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。では、私はアデリーナ様を連れて帰らなければなりませんので、ここで失礼致します」「はい、分かりました」「またいらしてください」オリビアとマックスは交互に声をかけるとセトは会釈し、アデリーナを背負ったまま夜の町へと消えて行った。その姿を見送りながら、オリビアはマックスに話しかけた。「……ねぇ、マックス。ひょっとするとセトさんはアデリーナ様のこと……」するとマックスは目を丸くする。「何だ? 今頃気付いたのか? 俺は2人が一緒に現れた時から気付いていたぞ?」「え? そうだったの?」「当然じゃないか。俺は接客の仕事をしているんだぞ? 相手の心の内くらい、読み取れなくてどうする」「ええっ!? そんなものなの? ねぇ、だったら今私が何を考えているのか分かる?」「う~ん……そうだな」マックスはじっとオリビアを見つめて答えた。「アデリーナ様って、可愛いところもあるのね? って思っているだろう?」「当たり! すごいわ」「それだけじゃない。まだ分かるぞ
3人はマックスの店の前に到着すると、早速オリビアはアデリーナに声をかけた。「アデリーナ様、こちらのお店ですよ」「あら? このお店は……」アデリーナは首を傾げる。「え? もしかして御存知なのですか?」「ええ、一度だけ来たことがあるのよ。でも確かここは喫茶店だと思っていたけど……」「その事なのですけどね。昼と夜とではオーナーが違うんです。夜は食事とお酒を提供するお店になるのですよ」するとアデリーナの目が輝く。「本当? お酒が飲めるのね? 早く入りましょう」「フフ。そうですね、入りましょう」セトが扉を開け、3人は店の中へ入って行った。**店内には多くの客で賑わいを見せている。「まぁ……昼間とは全くお店の雰囲気が違うわね」アデリーナは感心した様子で周囲を見渡した。「そうなのですか? 私は昼間は来たことが一度も無いので良く分からなくて」そのとき。「オリビアッ! 来てくれたんだな!」黒のタキシード姿のマックスが笑顔でやって来た。「ええ。約束通りに来たわ」「オリビア嬢、ご来店頂きありがとうございます」次にマックスはオリビアに丁寧に挨拶をし……じっとセトを見つめる。「え……と、こちらの男性は……?」「初めまして。わたしはアデリーナ様の従者のセトと申します。今夜はアデリーナ様の付き添いで御一緒させていただきました。マックス様、今夜はお招きいただきありがとうございます」「あ……い、いえ。こちらこそありがとうございます。それじゃ、席を案内しますね」丁寧に挨拶され、マックスは目を白黒させながら3人を席へ案内した――**** カウンター席に案内されたオリビアとアデリーナは早速、マックスが勧めた料理を口にしていた。「アデリーナ様。 この魚介のグリル、スパイシーでとても美味しいです!」「そうね。このお肉料理も、とても味が染みていて美味しいわ。ワインにとてもあうわね」アデリーナがワインに手を伸ばすと、セトが止める。「アデリーナ様、またワインをお召し上がりになるのですか? もうこれで3杯目ですよ?」「あら、別にいいじゃない。私がお酒に強いのは、セトが良く知っているでしょう?」「ええ、そうですが外で飲まれるのと、自宅で飲まれるのとは訳が違いますから」「私なら大丈夫よ。それにセト。最初に言ったわよね? 私たちの会話を邪魔しない、空気の
—―18時半「全く、兄のせいで家を出るのが遅くなってしまったわ。今迄散々私を無視してきたくせに……もう放っておいて欲しいわ」自転車をこいで待ち合わせ場所である広場の噴水前に行ってみると、既にアデリーナの姿がみえた。「いけない、もういらしてたのね。……あら? 一緒にいる方はどなたかしら?」アデリーナの傍には黒髪を後ろに束ねた青年がついており、2人は親し気に話をしている。青年はスラリと伸びた長身で、ジャケット姿が良く似合っている。自転車で近付くと、アデリーナがオリビアに気付いて笑顔で手を振ってきた。「オリビアさん! 待っていたわよ」「すみません。私からお誘いしたのに、遅くなってしまいました」自転車を降りると、詫びる。「あら、いいのよ。ほぼ時間通りだから」アデリーナは笑顔で返事をすると、次に黒髪青年に話しかける。「ほら、言った通りでしょう?」「ええ。アデリーナ様の仰る通りでした。疑ってしまい、申し訳ございません」そしてペコリと頭を下げてきた。「あの……一体なんのことでしょうか?」オリビアが首を傾げるとアデリーナが説明した。「彼はね、私の従者でセトというの。今夜、親友と食事に行くと言ったら、どうしてもついて行くと言って聞かなかったのよ。相手がディートリッヒ様では無いかと疑っていたみたいなの」そして少しむくれた様子でセトを睨みつける。「本当に申し訳ございません」再度セトは謝罪すると、次にオリビアに丁寧に挨拶をしてきた。「初めまして。私はセトと申します。アデリーナ様の幼少時代より、執事として10年以上お傍に仕えさせていただいております。どうぞよろしくお願いいたします」「初めまして。私はオリビア・フォードと申します。アデリーナ様とは仲良くさせていただいております」互いに自己紹介しあうと、アデリーナはパチンと手を叩いた。「はい。では自己紹介も終わった事だし、セト。あなたはもう帰っていいわよ」「イヤです」「え? 何を言ってるの。今夜は私はオリビアさんと2人で食事を楽しみたいのよ? もう疑いも晴れたのだから、帰ってくれないかしら」「いいえ。私は旦那様より、アデリーナ様をお守りするように命じられております。この辺りは夜になると町の顔が変わります。どんな輩がうろついているか分かりませんので、お供させて頂きます」「私は腕に自信があるか